東洋美術への深い愛情、洞察力から「日本美術の恩人」とまで称賛されているアーネスト・フェノロサは、その著「東亜美術史網1921年」で次のように述べている。「足利義政はまことに日本のロレンゾ・ディ・メディチなり」。
メディチは、イタリア中部のフィレンツェ(フロレンス)の銀行家、政治家にしてレオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロの有力作家を育てたことで知られる。フェノロサは室町時代の日本美術を調べて、足利義政と雪舟の関係を知り、雪舟を育てた足利義政の存在にメディチのダ・ビンチ、ミケランジェロへの援助に対して高く評価し、同様のことがほぼ同時代のイタリアに於いても行われていたことを指摘したのである。